月とチンピラ(ネコ科)

 街の中心部には大きなクリスマスツリーが設置され、赤や青、緑などの色とりどりのイルミネーションが輝いている。  金銀のきらびやかな装飾が施されたこの店内も、普段より賑やかだ。平日にもかかわらず、客足もいつも以上に多くて忙しい。  そんな最中、ショーケースの前に立つ一人の青年に目が留まった。青年は文字通りかじりつくように、豪華なダイヤモンドの指輪に見入っていた。 「いらっしゃいませ」  声をかけると、青年がゆらりとこちらを向く。  私はその整った顔に思わず息を呑んだ。目鼻立ちがくっきりしていて、まるで俳優のように人目を引く容姿をしていた。着古したレザーのジャケットとダメージジーンズというラフな格好が、より彼の魅力を引き立てている。  だが彼の表情は暗い。まるでこの世の終わりのような顔をしているのだ。 「指輪って高ぇんだな……マジでボッタクリだろこれ」  彼が覗き込んでいたショーケースは、エンゲージリングがずらりと並ぶ一角だった。確かにこの店で扱うものの中では高価な部類に入る。  顔の良さよりもガラの悪さが目立ち、声をかける相手を間違えた、正直そう感じた。だがそれでも一度声をかけてしまったからには放っておくわけにはいかない。 「婚約指輪をお探しですか?」 「あっ? これ、婚約指輪!? いや、俺はクリスマスプレゼントを探してるだけ」  彼は慌てて否定する。なんだよどうりで高ぇと思った。そう苛立たしげに呟き、頭を掻いた。  話を聞くと、同棲し始めたばかりの恋人へのプレゼントだという。ハロウィンで何やら格好悪いところを見せてしまったとかで、挽回したいのだそうだ。  一見すると近寄りがたい不良っぽさのある外見だが、意外とロマンチストなのかもしれない。  話す時には彼の口元で八重歯がちらちらと覗いて、最初の印象よりも幼い感じに見えた。 「ご予算はいかほどでしょう?」 「あんまりない」  即答だった。だがこれくらいの年代であればそう珍しくもないことなので、特に驚きはしなかった。 「ネックレスもこちらに……リングよりも価格が幅広く選択肢が多いですし、この一粒ダイヤのものは最近特に人気ですよ」  彼は腕を組み首をひねると、うぅ~~ん、と唸る。 「あいつなかなか首周りがあいてる服を着ないからさ~。つけても全然見えないんだよね。せっかくだから、俺からよーく見えるところに身につけてもらいたいんだけど」  なるほど、これは独占欲が強いタイプかも。若い男性にありがちなやつだ。  ふと彼の耳元を見ると、大小様々なピアスがじゃらじゃらと並んでいる。そうだ、ピアスならば安価なものも多い。お揃いで買ってもらうという手もある。それにペアアクセサリーならば、彼の独占欲を満たすこともできるだろう。 「ペアのピアスはいかがでしょう? こちらは模様が対のデザインになっておりまして、お二人でお楽しみいただけますよ」  私が差し示したのは、シンプルなデザインの小さなフープピアスだった。 「……は? 無理。体に傷なんかつけさせねぇし。てか似合わねぇ」 (こ、怖っ)  途端に不機嫌そうな顔をする彼に私は慌てた。自分の耳は穴だらけのくせに、そこに関しては厳しいようだ。地雷がわかりにくい。  独占欲強め、溺愛タイプのチンピラ、と心に留めておく。  私は内心冷や汗をかきつつ、笑顔で続けた。 「ではやはり、リングがよろしいでしょうか。こちらのカラーストーンのリングは比較的お値段も手頃ですし、気軽に身に着けることができるファッションリングなのでお勧めです」  次に勧めたのは小ぶりな天然石をあしらったカジュアルなリングだ。同心円状に陳列された十数個のリングは、どれもアームのデザインはすべて同じ。だがセンターストーンがそれぞれ異なり、種類によって雰囲気がガラリと変わる。清楚なものから大人っぽいものまで、幅広い年齢層に合うよう揃えられているので、きっと彼女の好みにあうものが見つかるはずだ。 「お相手のイメージに合わせた天然石を選ぶのも素敵だと思います」 「おお~~! いい、いい! いいなこれ!!」  今度はお気に召したようで、食い入るように眺めている。その姿はまるでたくさんのショートケーキが並んだショーケースの前で、どれにしようか迷っている子供のようだ。微笑ましい。  しばらくああでもないこうでもないと言いながら真剣に選んでいたが、なかなか決まらないようだったので助け舟を出すことにした。 「お相手の方はどんな方なんですか?」 「どんなって言われてもなー。そうだなぁ、俺より背が高くて、すらっとしてる。姿勢が良いな。頭も良いぜ。いっこ年上の○○大学の2年生」  彼だって立派な長身の部類だと思うが、それよりも背の高い女性とは。モデル体型というやつだろうか。きっと美人に違いない。しかも○○大学とは、ハイスペックじゃないか。  だがあまりにもざっくりとした情報すぎて返答に困る。もう少しイメージを固めたいところだ。 「な、なるほど。できればもう少し詳しくお聞かせいただけませんか?」  そこで双方の言葉が途切れる。  その時、賑やかなウインターソングの店内BGMが、一転ゆったりとした女性ボーカルの曲に変わった。  この曲は確か、ずっと昔世界的に流行したジャズをアレンジした、とても有名なラブソングだ。 “I love you”を別な言葉に言い換えて遠回しに伝える、ロマンチックで詩的な歌詞……。  彼はその曲に耳を傾けているうちに何か思いついたのか、ふっと表情を和らげた。 「一緒にいると不思議と落ち着くな。物静かで穏やかで、誠実な奴だよ。月みたいに」  たまに頑固でムカつくけど。そう付け加えてから、彼は愛おしそうに目を細めた。  さっきまでの険がある態度との差に、ドキリとする。こんな顔をされたら、世の女性はひとたまりもないだろう。 (ひ~っ! 甘酸っぱぁ~! これがギャップ萌えってやつ~!?)  なんだか見ているこっちが恥ずかしくなってくる。思わず赤面してしまうところだった。  私はショーケースからひとつ指輪を取り出し、トレイに乗せた。それは青みがかった乳白色の石が一粒ついたものだった。 「こちらのムーンストーンはいかがです?」 「何それ?」 「“月が宿る石”、“月を閉じ込めた宝石”とも言われるんですよ。月のような穏やかさや癒しを連想させる宝石です」  シラー効果と呼ばれる青白く石の曲面に反射する光が、指輪を傾けるたびにちらちらと移ろうように輝く。  指輪を覗き込んでいた彼の表情がパッと明るくなった。 「いいじゃん! イメージぴったり! お姉さん天才~!」 「あはは……ありがとうございます」  急に褒められて面食らう私をよそに、彼はその指輪をつまみ上げて光にかざしたりしながら眺め始めた。どうやら気に入ってくれたらしい。 「サイズは何号になさいますか」 「サ……イ……ズ……!?」 「はい、7号から18号までございますが、今当店に在庫があるのは9号と13号ですね。他はお取り寄せになります」 「……わかんねぇ」 「!?」  指輪を買いに来てサイズがわからないときた。だめでしょそれは!  私は額に手を当て天を仰いだ。ハロウィンに何やらやらかしたという彼の話を思い出す。もしや結構ドジっ子なのだろうか。 「わかんねぇけど、ピアノ習ってたって言ってたし、指は長くて綺麗だぜ。でも結構、ふ、太い気がする」  そこまで言うと彼は急に黙り込み、わずかに頬を赤らめて恥ずかしそうに視線をそらした。 (????????なんの照れなのそれ????????) 「でも多分イケるだろ! 気に入ったからこれにする。豪華に包んでよ」 「ありがとうございます。ではこちらの13号で。もし万が一サイズが合わなくても、すぐにお電話をいただければ、一週間以内なら無料で交換いたしますので」 「助かる~! 色々ありがとね、お姉さん」  そう言って笑う彼の顔はとても無邪気で、年相応に見えた。  ◆  数日後。やはりあのリングはサイズが小さかったとかで、例のチンピラ――電話で薛洋と名乗った男は、今日恋人とともに再び来店する予定になっていた。 「おーい、お姉さ~~~ん!」  店内に響く明るい声に顔を上げると、あの青年が手を振っていた。派手な柄がプリントされたスウェットの上下を着て、ファーのついたダウンジャケットを羽織っている。今日も絵に描いたような正統派チンピラスタイルだ。 「お待ちしておりました、ご来店ありがとうございます。あら? お連れ様は……?」  そこに恋人らしき女性の姿はない。代わりに隣には、長身の男性が立っている。  私が尋ねると、彼は不思議そうな顔をした。 「いるじゃんここに」 「……え?」  青年は自分の隣の青年の腕にピョンと抱きつくと、八重歯を見せてニッと笑った。 「素敵な指輪だったのですが、少し窮屈だったので……サイズ交換をお願いします。お手数をおかけします」  隣で穏やかに微笑む青年は、身長が高く肩幅も広い美丈夫だった。白いタートルネックのセーターがよく似合っていて、シンプルながら高級感を感じさせる服装をしている。黒縁眼鏡の奥にある切れ長の瞳は知的な印象を与えつつも、とても優しげな雰囲気を漂わせていた。 (!”#$×℃※⅔∵∰⨝↯₠℗%&’○!?)  心の中で、私は声にならない叫びをあげた。  背が高くて、すらっとしてて、姿勢が良くて、頭が良くて、物静かで、穏やかで、誠実な、ああ……ああ~~~~。OKOKわかった了解。  二人はねちゃねちゃと音がするくらいイチャつきながら、仲良く肩を寄せ合い指のサイズを測ったりショーケースを眺めたりしている。 「阿洋はこの赤い石が似合うんじゃないかな」 「そう? 星塵がそう言うならこれにしよっか。へへへ、お揃いだな♡」 「ふふ、そうだね」  店を出る時には、二人の指には石違いで同じデザインの指輪が光っていた。  タイプが違いすぎてなんだか不思議なカップルだが、幸せそうで何よりだ。  ショップのスタッフとして、そのお手伝いができたのならば本望である。  それにしても、彼の前ではまるで猛虎が子猫ちゃんにでもなったかのような豹変ぶりだった。いつもあんな風にデレデレしているのかしら。  月みたいな人、か。ガラの悪いチンピラ男を手懐けているあの彼氏、大人しそうだけどきっと只者ではない。 (『月は人を狂わせる』とも言うしね……)  いつかどこかで聞いた言葉が、ふと私の脳裏に浮かんで消えたのだった。