赤い飴

「遅くなってすみません、ただいま戻りました」  何か良いことでもあったのか、いつになく朗らかな声だった。  今日の買い出し当番は暁星塵だ。あいつは盲目だが、慣れた様子で敷居をまたぎ義荘の中へ帰ってきた。まったく器用なものだと思う。 「道長お帰りなさい! 野菜は買えた?」  チビは竹杖をつきながら、嬉しそうにあいつに駆け寄った。 「また騙されて腐ったやつを掴まされてないだろうな」 「それは大丈夫ですよ。それより、二人にお土産が」 「なになに!?」 「婚礼があったそうで、喜糖シータァンを配っていたのです。四ついただいたので二人で分けてくださいね」  道長はごそごそと袖の中を探り始める。 「幸せのおすそ分けっていうあの飴? すごい! あたしもらうの初めてだよ」  チビはよほど嬉しいのか、その場でぴょんぴょんと跳ねている。  ところがその時、道長が珍しく「あっ!?」と間抜けな声を出した。 「おかしい、三つしかありません……」  道長が差し出した手のひらには、真っ赤な包み紙の飴が三つ乗っていた。 「ええっ!? 三つだけじゃ、どうやって二人で分ければ良いの?」 「落としたのか。 道長でもそんなヘマすることあるんだな。……まぁ俺の方が体が大きいんだし、二つもらってやるよ」 「なんでそうなるの、ずるいずるい!」  俺は道長の手から喜糖を二つ取ろうと手を伸ばしたが、わぁわぁ喚いて竹杖を振り回すチビに阻まれてしまった。  阿箐は顔を真っ赤にして半泣きになっている。そんなに喜糖が食いたいのか。まったく欲張りなガキだ。 「本当に申し訳ない、私としたことが……困りましたね。霜華で半分に割りましょうか?」 「道長! 結婚祝いのおめでたい喜糖を割るなんて絶対だめ!」  クソ真面目な道長は困り果てて、気の毒な程顔を青くしている。  赤い顔で喚く盲人と、青い顔で頭を抱えている盲人。  二人を目の前にして、さすがの俺もさっきのは大人げなかったか、と思った。本当にほんのちょっとだけだが。  埒が明かないので、俺は簡単な解決方法を提案してやることにした。 「お前らバカだな。良い方法がある」  道長の手からひとつ喜糖を取り、袖にしまう。 「これは、俺のぶん」  もうひとつ取り、チビの手の中に押し込んでやる。 「これはお前の」  最後に、喜糖がひとつ残った道長の手を、そのままギュッと握らせた。 「で~、残りのひとつはあんたのだ! どうだ? なかなかの妙案だろう」  チビは赤い顔をさらに赤黒くして、口をぱくぱくとさせながら二、三歩後ずさった。 「そ、そんな……悔しいけど、その発想は、なかった……!」  道長はキョトンとしている。 「私にも喜糖を? 良いのですか」 「いつも俺たちに飴をくれるけど、自分では食べたことなんてないんだろう? あんたもたまには食ってみろよ」 「……そうだね! 道長がもらうと良いよ。あたし欲張っちゃって、ごめんなさい」 「阿箐気にしないで。ではせっかくなので、ありがたく頂戴します」  道長はにっこり笑って、喜糖を大事そうに袖の中にしまった。  その夜、道長は火鉢の横でうつらうつらするチビに毛布をかけてやると、俺のすぐ隣に座って暖を取り始めた。  俺は昼間の喜糖を思い出し、取り出して早速口に放り込む。うん、いつものよりずっと甘くて上等な飴だ。これはかなり美味い。 「ものすごく甘いけど、これはなんの味なん……っ」  言いかけた俺に道長が唇を重ね、舌をやわらかく絡みつかせる。 「あなたのは、紅糖(黒砂糖味)ですね。本当に甘い」 「あ、あんたさ……あ、こら」  道長は妙にご機嫌だ。にこにこしながらしつこく俺の口を吸ったり髪をなでたり、首筋に鼻先をうずめたりする。横目でチビの方を見ると、すでにぐっすりと眠っているようだったので、しばらくされるがままになってやった。 「道長はさっきの飴、まだ食わないのか?」 「なんだかもったいなくて……しばらくとっておこうと思います」 「食べたら何味だったか教えろよな」 「ふふふ、わかりました」  火の粉がパチパチと爆ぜて、頬を緩ませる道長の顔を暖かな橙色に照らした。  ――そこで、俺は眠りから覚めて夢を知る。  先程までの甘やかな光景は跡形もなく消え去り、目の前に広がるのは墨を溶いたように暗い義荘の室内。  火の粉を受けて橙色に照らされた横顔も、血の気の失せた白い顔に変わっていた。  物言わぬ男の衣の胸あたりは、じっとりと濡れて色が変わってる。いつの間にか俺は、こいつの胸の上で突っ伏して眠ってしまったらしい。  片手でごしごしと目をこすってから暁星塵の横に寝転がる。そしてそっと冷たい手を握った時、その袖の中に小さな石ころのようなものがあるのに気がついた。  慎重に探り取り出してみると、それはあの真っ赤な喜糖。 『なんだかもったいなくて……しばらくとっておこうと思います』  あの夜の言葉を思い出し、喜糖を暁星塵の手の中にしっかりと握らせてやる。 「道長、その飴は何の味なんだ? いい加減教えろって」  しかし暁星塵の唇は固く引き結ばれていて、いつまで待っても答えは返って来なかった。