冷たい手

 食料がぎっしりと詰め込まれた竹籠を手に、俺は買い出しからの帰路を急いでいた。  穴だらけの紙傘をわずかに傾けどんよりとした灰色の空を見上げると、先程までの冷たい雨はいつの間にか水分を多く含んだ雪に変わっている。足を速めるうちに風雪はみるみる激しさを増してゆき、あっという間にいつもの細道は無彩色の雪景色となった。  周囲を見回して白い息を吐き出すと、今夜は積もるな、という言葉が自然と口からこぼれ落ちた。  義城にやってきて初めての冬だった。  義荘まであとわずかというところで、灰色に霞む景色の向こうにぼんやりと人影があることに気づいた。門のすぐ前にいたのは、暁星塵だった。 「道長! 何してるんだ?」 「ああ、良かった、お帰りなさい。雪が降ってきたというのに戻って来ないから、気になってちょうど出て来たところで……」 「心配性だなぁ。しばらく荒れそうだから食い物をいつもよりたくさん仕入れてきてさ、時間がかかったんだ」 「濡れるぞ」と傘の柄を持ち上げ、俺より少し背の高い暁星塵をボロ傘の中に招き入れる。近くでよく見れば髪も上着の肩もじっとりと濡れている。“ちょうど様子を見に来た”なんて見え透いた嘘だな。しばらくここで待っていたのだろう。 「ありがとう。ああ、こんなに冷えてしまって」  紙傘を持つ俺の右手は、いつの間にか冷たさを通り越してビリビリと痺れている。暁星塵は両手で包み込むようにその手を握ると、はぁーっと温かな息を吹きかけたりさすったりして、懸命に温め始めた。 (こいつの手だって冷たいけど、こうしてもらうと案外温かいもんだな) 「さあ、左手も」  そう笑顔で求められて、思わず差し出しかけたが──慌てて引っ込めた。 「いいって、大丈夫。それにこの籠を地面に置いたら、せっかくあんたがきれいに修繕したのに汚れちまうから……」  不自然にならぬよう、細心の注意を払いながら申し出を断った。暁星塵は特に不審がる様子もなかったので、俺は密かに胸を撫で下ろす。 「それより今夜はうんと冷えそうだ。久しぶりにお湯に浸かって温まりたいな。道長も一緒にどう?」  そう冗談を飛ばすと、 「ふふ、ではそうしましょうか。二人で入るなら風呂桶が壊れないように気をつけなければいけませんね」  道長がくすくすと笑いながら言った。  こいつの場合は時々本気か冗談かわからないから、逆に返事に困るんだ。  暁星塵は傘を持つ俺の右手に、ひとまわり大きな手を重ねて「帰りましょう」とにっこりと微笑む。俺たちは傘の下で肩を寄せ合いながら、義荘の門をくぐり歩き出した。風雪が激しさを増し身を切るような寒さの中で、触れる肩と手の平から伝わってくる体温はことのほか心地よい。  しかし、誰からも触れられることのない左手だけは、いつまでも冷たいままだ。恐らくこの先もずっと。隣を歩く男の横顔を盗み見ながら、俺は不意にたまらない気持ちになった。  ……小指の欠けたこの左手も、いつか暁星塵の体温を享受できたなら。もしもあんたが触れてくれる日が来るなら、俺は……。  そんな淡い期待が胸をよぎる。  しかし途端にごうと鳴る冷たい強風が通り抜け、それは跡形もなくかき消されてしまった。