俺は暁星塵の前で、一度も衣を脱ぎ、肌を晒したことがない。  いつも下履きだけ脱ぐか中途半端に引き下ろすだけで、あとは衣を着たまま抱かれる。  光を失ったその目に、自分の姿が映るはずもない。  なのになぜ?  答えは簡単だ。左手の小指以外にももう一つ、知られたくないものを隠しているからだ。  ◆  優美な頬を汗が伝い、重力に従い顎先へと流れる。しずくは俺の唇の端にぽたりと落ちて、思わず舌先で舐めた。しょっぱい。  目の前の美しい男は、肩で息をしながら、俺の中に挿入っていた陽物をずるりと引き抜いた。 「あぅっ……ん……」  俺は小さく声を上げる。だがその声を塞ぐように口づけられ、そのまま強く抱きしめられた。暑苦しい。離れろ。そう思いながらも、俺は黙って奴の背中に腕を回してやった。  やがて呼吸が整ってきた頃に、ようやく奴の体が離れた。俺は寝台の上に仰向けになり、倦怠感と共に真っ暗な天井を見上げる。 「……暑いなあ。真夜中だってのに」 「ええ、本当に。脱いで風に当たれば少しは涼しいかも」  奴は俺の上衣に手をかけた。それを手で制する。俺は汗で張り付いた前髪をかき上げながら、奴を見上げた。 「脱ぎたくないっつってんだろうが。放っとけよ。脱ぎたいならあんただけ脱げばいいだろう」  男はため息をつく。このやりとりも何度目だろうか。共寝をするようになってから、もう何度同じことを言ったかわからない。 「裸は恥ずかしいですか」  この質問にも何度答えたか。馬鹿の一つ覚えみたいだ。体を起こし、髪紐を拾い上げて乱れた髪を結わえ直す。 「そんなわけあるか、生娘じゃあるまいし」  いつもはこんなふうに撥ねつければ、それで終わりだった。  だが、その日は違った。  次の瞬間、俺は再び寝台に押し倒されていた。 「ではなぜ? 私のような盲の前でも、裸になるのは嫌?」  暁星塵が俺の両腕を掴み、そのまま寝台に縫い付ける。抵抗するも虚しく、一瞬のうちに身動きが取れなくなってしまった。腕力の差が歴然なのはわかっていたが、ここまでとは。  ――しまった。小指に触れられたら、すべてが終わる。  恐怖に心臓が跳ねる。  だが、どうすることもできない。  暁星塵の手が腕から手首へ、そしてその先へ、じわじわと這い上がってくる。  あとわずかで指に触れるというところで、俺はついに耐えきれず叫んだ。 「好いた男だからこそ知られたくないことが、俺にだってある……!」  その言葉に暁星塵の動きが止まる。奴の顔がわずかに上気して、そのまま黙った。沈黙が痛い。 「教えるから。もう離せよ」 「……はい」  ようやく解放された手首をさすりながら、上半身を起こす。この馬鹿力め。俺は腹を括り、暁星塵のほうへ向き直った。はあっと短い吐息をつく。  奴も行儀よく正座し直して、俺の一挙一動を見逃すまいとするようにじっとこちらを気配をうかがっている。それが居心地悪くてたまらない。  覚悟を決めて帯を緩める。上衣の襟を開き、右の肩を露にした。 「右腕、触ってみな」  おそるおそるといった様子で、暁星塵が俺の右肩に触れる。そしてするすると撫でるように下へ降りていき、ある部分に触れた時、その手がピタリと止まった。  暁星塵が息を呑む気配が伝わってきた。  ああ、とうとう見つかった。 「それが、あんたが知りたかったことだ」 「……これは、刺青」  掠れた声でそう言うと、暁星塵は確かめるようにもう一度なぞった。何度も何度も繰り返し指が行き来する。くすぐったくて身を捩ると、奴はやっと手を離した。 「そう、咎人の“印”。盲人──特にあんたは触覚も鋭いからな。すぐにバレちまうだろうと思って、今まで隠してた」  俺は、前科を示すために体に刺青を施す“墨刑”を受けた身なのだ。その刺青はあまりにお粗末な出来栄えで、そして、あまりにも醜悪だった。まるで青黒い膿のような色をした、汚らしい烙印。粗悪な針や染料を用いて力任せに彫り込まれるのだから、当然といえば当然だ。今でこそ自分で触れてもわからないほどに、凹凸が目立たなくなった。それでも、暁星塵が触れれば間違いなく気づいてしまうだろう。 『君が罪人だったと知れたら面倒なことになる。絶対に誰にも見せるな』  蘭陵金氏の元で客卿として仕えてた頃にも、金光瑤から事あるごとにそう釘を刺され、ひた隠しにしていた刺青だった。  暁星塵は俺の過去は尋ねないと言った。だがこんなものが体に彫られていると知ったら、余計な詮索をしないとも限らない。だから必死に隠していた。俺の正体への手がかりになりそうなものは、できる限り排除しておきたかったのだ。  ……そんな俺の心配を他所に、奴の口から出た言葉は意外なものだった。 「……痛かったでしょう」  労わるような手つきでそっと刺青を撫でる。まさかそんな風に言われるとは思わなかった。正義を重んじ、ある種潔癖なきらいすらあったこの男が、他人の罪の証を嫌悪もせず、むしろ愛おしむように触れるなんて。  思わず面食らうが、そんなことおくびにも出さず、へらりと笑ってみせた。 「まぁね。針が肉の中に食い込んでいく時の痛みは、結構堪えたよ。まだ俺も若造だったから、泣き喚いて暴れたもんだ。金丹もない頃だから、治りも遅いし」  暁星塵は眉を寄せて顔を歪めた。俺は思わず苦笑する。  こいつは、なんて顔してんだよ。そんなに同情されるほど、可哀想なことでもないさ。 「ああ、言っとくけど、これは無実の罪だ。浮浪児だった頃からつるんでた連中が悪さをして、俺までとばっちりを食って捕まっただけ。……まあ信じて貰えないだろうけど」  俺が数多の罪を犯していることは事実だ。だが、この刺青に関しては正真正銘の潔白だった。  俺の言葉に、奴は静かに首を横に振る。 「信じます。あなたが嘘をついているなどとは思っていません。ただ、気の毒に思っただけで」  手が伸びてきて、俺の頬に触れた。その声も手も天鵞絨のように柔らかで、なんだか胸が詰まった。  そして、今度は俺の右の二の腕を慈しむように撫でる。優しい手つきに気が緩み、身を委ねていると、ふいに暁星塵の手の動きが止まった。 「これは……」  暁星塵の指が、刺青の或る箇所を何度も往復する。 「ここには、文字も彫られていますね」 「ああ。腕を一周ぐるっと彫ってあるだけのとは別に、文字もいくつかあるよ」  ふむ、と頷き興味深げに何度もなぞる。やがて、刺青の文字を読み取ったのか、暁星塵は顔を上げた。 「七……二……二」 「あたり」  他にも文字は刻まれているが、その数字は特にはっきりと読めたらしい。 「よーく触って覚えとけよ。死んで野ざらしになっても俺だってわかるだろ」 「縁起でもないことを言うものではありませんよ」  暁星塵は困ったように笑ったが、俺には冗談を言ったつもりはなかった。 「ところでこの数字は?」 「それ、俺の産まれた日らしいんだよね。7月22日」  俺の答えに、暁星塵は雷に打たれたかのように固まった。  奴はしばらく言葉を失っていたが、やがて恐る恐るといった様子で口を開いた。 「……そ、それは…………今日ではないですか!」  暁星塵の慌てぶりに、俺は思わず吹き出した。暁星塵が慌てているのがおかしくて、くっくっと肩を揺らして笑いながら、指折り数えた。  そういえばもう日付が変わっている。そうだ、確かに今日だ。  暁星塵はずいぶん神妙な顔をしていた。やがて重い口を開くと、ぽつりと言った。 「なぜ教えてくれなかったのですか」 「いや、聞かれなかったし……?」  産まれた日などわざわざ人に言うほどのことでもない。ましてや、自分の出生に特別な思い入れなどなかった。そもそも生まれが生まれだけに、それが本当に俺の誕生日かどうかすらも怪しいのだから。 「お祝いの準備をしないと。夜が明けたら阿箐と寿麺の用意をします。あとはええと、鶏の卵と……」 「そんな特別なものはいらないよ。いつも通りでいい」  こんな取るに足らない一日を、祝ってくれるという気持ちだけで十分だ。だが、暁星塵は引き下がらなかった。奴には意外に頑固な一面があり、自分がしたいことをする時は、絶対に譲らないのだ。 「ついこの間の阿箐の誕生日には、美味しいものをたくさん食べさせて贈り物をしたではないですか。だから、あなたにもそうさせてください」  そう押し切られてしまった。 (……俺はあのちびと同じくくりなのか?)  そう思いながらも、少しだけ嬉しくて、頬が緩むのを止められなかった。 「何か欲しいものはありませんか?」  そう問われて、咄嵯に浮かんだのは一つだけだった。暁星塵の身体を引き寄せて唇を奪う。 「あんたがいればいいよ」 「でもそれでは……」  奴は困ったように眉を下げた。暁星塵がいればそれでいい。それは本心だ。だが、奴は納得していない様子だった。  ちらりと右腕を見て、それならばと、もう一つ望みを口にする。 「じゃあ、あんたが俺に新しい“印”をくれ」  ──あんたに愛されたっていう印が欲しい。 「刺青を? それはだめです!」  俺の言葉に暁星塵は顔を青くして慌てた。予想通りの反応だ。まぁ、そうだろうな。  だが、俺が欲しいのは刺青なんかじゃない。俺が欲しいのは……。 「ハハハッ! なんて顔するんだよ。違うって」  暁星塵の指を掴んで自分の胸元に持っていく。鎖骨の下あたりを指で触れさせて、ここ、と教える。 「ここ、に?」  暁星塵は困惑した様子で首を傾げた。この男は、こういうことにたいそう疎い。 「うん。ここ吸って……」  その言葉に、奴は戸惑いながらも素直に従う。俺の首の後ろに手を回して引き寄せながら、おずおずとそこに吸い付いた。ちゅ、という音がする。 「もっと強く」  促すと、ぢゅうっと先程よりも強い力で吸われた。チリッと小さな痛みが走る。  そのまましばらく待ったが、一向に口を離そうとしない。仕方なく肩をポンポンと叩いて合図する。暁星塵はハッとしてようやく離れた。 「ごめんなさい、痛かった?」 「大丈夫。ほら、見えないだろうけど、ここに痕がついた。俺があんたのものになった印だ」  そこはパッと赤い花が咲いたように色づいていた。  胸元の鬱血を触らせながら言うと、暁星塵は頬を染めて、ゴクリと唾を飲み込む。 「まぁすぐ消えちゃうけどな。そしたら、また──」  言い終わる前に、今度は喉頸をきつく吸われる。そしてまた少し離れたところを舐められ、吸われ、次々に花が咲く。何度もそれを繰り返されて、俺はとうとう音を上げた。 「お、おい。もういいよ、そんなにたくさんつけなくても……」  暁星塵は名残惜しそうに唇を離した。 「嫌です」  珍しく拗ねたような口調なのがなんだか可笑しくて、思わず吹き出してしまう。  奴はムッとしたようだったが、やがてつられたのかクスリと笑う。俺達は顔を見合わせてもう一度、ふはは、と声を出して笑った。  暁星塵の手が俺の頬に触れる。その手が顎に添えられ、顔を持ち上げられて、そっと触れるだけの口づけが降る。唇はやがて首筋へと滑り落ちていった。  ぬるりとした温かいものが這い、声が出そうになる。 「もう、肌に触れても平気?」 「……いちいち聞くなよ」  指先が乱れた衣の中に滑り込み、俺の身体を確かめるように、優しくなぞる。こんなふうに誰かに触られるなんていつぶりだろう。肌の上をするすると滑る指先はひんやりとしていて、火照りの残る体に心地良い。俺は抵抗を忘れ、なすがままに任せていた。  触れられたところから熱を帯びてゆき、次第に息が上がり始める。  気づけば、俺の背中は寝台に沈んでいた。暁星塵は俺の帯を解き、あっという間に衣を剥ぎ取ってしまった。 「待って、あんたも脱いでよ。俺だけこんな格好なのは不公平だ」 「ええ、そうします」  暁星塵は素直に衣を脱ぎ捨てた。脱いだ衣をご丁寧に畳む。余裕を見せつけられているようで妙に腹立たしい。  初めて見る暁星塵の体は、まるで彫刻と紛うほどに美しく均整が取れていた。肌理細やかな象牙色の滑らかな皮膚の下、しなやかに筋肉がついて、引き締まった体にうっすらと汗を浮かべている。  その腕に抱きしめられ、胸を合わせれば、互いの鼓動が共鳴し合い、溶け合うように響いて心地良い。 「裸でくっつくのって、こんなに気持ちよかったんだな……」  俺が思わず呟くと、暁星塵がくすりと笑みを漏らした。  暁星塵の頭を抱けば、さらりとして艶のある髪が指の間をすり抜けていく。そのまま髪を撫でて、頭を抱えて引き寄せた。奴も俺の腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくる。  密着した互いの体の熱を感じながら、俺達は寝台の上でしばらくそうしていた。何一つ隔てるものなく、ただこうして抱き合っているだけで、こんなにも満たされた気分になる。 「祝你生日快乐お誕生日おめでとう」  俺の頬に口づけて、祝福の言葉を口にする。厳かに、それでいて慈しみに満ちた声で。  俺が暁星塵に救われてから、初めての夏が巡ってきた。  人生で初めて自分の誕生を祝福する言葉を貰ったこの日を、生涯忘れることはないだろう。  首や胸元につけられたいくつもの紅い痕が、熱を持ってじくじくと疼いている。その一つ一つが俺に刻み込まれた暁星塵の愛の証だと思うと、堪らない気持ちになった。  何度も啄むように繰り返される口づけに焦れた頃、ようやく深く重ね合わされた。熱い吐息とともに差し込まれた暁星塵の舌が、俺のそれを絡め取るようにして舐り上げる。  俺の体は、暁星塵の与える快楽を覚えてしまっている。この先を期待して、腹の奥がじんわりと疼き出すのを感じた。  先程まで暁星塵を受け入れていた場所は、まだ柔らかく綻んでいるはずだ。  早くもう一度そこに欲しくて、俺は暁星塵の体に脚を絡ませた。

 

このSSはふせったーでちょっとだけ書いたネタから生まれたものです。

《魔道祖師と陳情令のモデルになった時代が魏晋南北朝と唐時代なので、すでに刑罰としての刺青があってもおかしくはない
(墨刑自体は紀元前からある)
薛洋もちょっとはヘマして何かしら刑罰は受けてそうだなって思うんですけど、どうでしょう》

ひととおり書き終えた当初はもっと私のフェチが色濃く出ていたのですが、推敲しているうちにどんどん「暁星塵はそんなこと言わない」となって、結局かなりあっさりめに、捏造刺青設定だけが残りました。
そして墨刑は本来顔に彫るらしい?とか数字は大字を使うかも……とか色々時代考証ゆるゆるですけど、いちオタクの妄想として深く考えずに読んでいただければと思います💦