ごろつきの交渉術

 その日、俺と暁星塵は二人で買い出しにやってきていた。  いつもよりもずっと安く調達した林檎を抱えて上機嫌で歩いていると、白い衣を纏った盲目の仙師が、野菜売りの前で何やら交渉を行っている。どうやらその店の主人は相当強欲らしく、なかなか折れようとしないようだ。  俺は二人の会話に聞き耳を立てることにした。 「そこをなんとかなりませんか」 「いや、無理だね。うちは絶対に値引きできないよ」 「あと少しだけ安くしていただけるのなら、その芋をもう一山買います。いかがでしょう?」  それを聞いた店主はさらに渋い顔をする。 「無理無理! まけられないよ。お客さん、買わないなら商売の邪魔になるからどいてくれよ」  店主はそう言って、暁星塵を追い払おうとした。すっかり困り果てた様子の暁星塵は、小さなため息をつくと、諦めたように懐から財嚢を取り出した。 「仕方ありませんね……。わかりました、そちらの言い値で買いましょう」  それを聞いて、思わず吹き出しそうになった。  おいおい、こんな露骨なぼったくりに引っかかりやがって……! そんなんじゃいつか騙されて身ぐるみ剥がされるぞ?  とうとう黙っていられなくなって、俺は暁星塵の前に飛び出していった。 「おい店主。よく見たらこの芋、みんな芽が出てるじゃないか! 目の見えない仙師様にこんなものをバカみたいな値段で売りつけようだなんて、いい度胸してるぜ!」  暁星塵は少し申し訳なさそうに眉を下げて、俺をなだめるかのように肩を優しく叩く。だが俺は暁星塵に耳打ちをした。  ──交渉っていうのはこうやるんだ。道長、黙って聞いていろよ。  そして、さも今思いついたかのような口ぶりでこう言った。 「そうだ、どうせ売れないゴミ同然なんだから、ここの芋を全部タダでよこせ! 捨てる手間も省けるだろう」  俺の言葉を聞いた店主は、顔を真っ赤にして怒り出す。 「そんな横暴な! タダでなんて、あんた無茶を言わないでくださいよ」  まあ当たり前の反応だ。もちろん全部タダでもらうつもりはない。ここからが腕の見せ所ってわけだ。俺はさらに畳みかけるように言葉を並べる。 「仕方ないな……じゃあこの一山だけでいい。半値にしてくれ。どうだそれならいいだろう?」 「ええ~~……」  店主は明らかに不服そうな顔をする。それでも俺は引き下がらない。ここが押しどころだ。 「全部タダでよこすか一山半値にするか、どっちにするんだ!?」  有無を言わせぬ口調で迫る俺に、ついに根負けしたらしい店主は渋々頷いた。俺は狙った通りの結果になったことに満足してほくそ笑む。 「わかりましたよ……もうそれでいいです。持って行ってください」  そう言って、店先に並べてあった芋を一山俺に手渡してきた。  やった! これで食費が浮く。ということは、その分何か甘いものを買うことができるかもしれない、ということだ。  俺がウキウキしながら芋を暁星塵に手渡すと、奴は驚嘆の色を隠せずにいるようだった。  慌てて財嚢から銀子を取り出し、店主に渡す。店主は何やらぶつぶつ言いながらそれを受け取って、手で追い払うような仕草をしていた。  こうして俺たちは、無事買い物を済ませることができたのだった。 「すごいですね、こんなに簡単に値切ってしてしまうとは……」 「大したことじゃないさ。めちゃくちゃな条件を出した後にゆるい条件を出してやれば、たいていは要求を飲むもんだ」 「なるほど……勉強になります」  暁星塵は感心した様子で何度も頷く。案の定、浮いた金で俺に飴を買ってくれた。  ふと空を見上げると、太陽はすでに西に傾いていた。俺たちは町を離れ、帰路についた。 「んっ……ふ……」  気怠い身体を寝台の上に横たえたまま、降ってくる暁星塵の唇の感触を受け止める。唇を割って入ってきた舌は、明らかに情欲を煽る動きだ。先ほど散々暁星塵によって快楽を与えられた俺の身体は、再び熱を持ち始める。  だがこれ以上されたら、明日どうなるかわかったもんじゃない。俺は暁星塵の胸を押し返して、どうにかその口づけから逃れた。 「道長、無理だ! もう無理……!」  暁星塵は不満げな様子で、なおも俺の中を暴こうとする。それを必死に制すと、ようやく諦めたのか身体を離した。 「仕方ありませんね、あと三回。だめですか?」 「全然わかってねぇな! あんた、なんでそんなに元気なんだよ」  俺は暁星塵に抱かれるようになって気づいたことがある。暁星塵という男は、一度行為を始めると、かなりしつこいのだ。まるで獣のように何度も何度も俺を求めてくる。最初はそれが少し嬉しかったのだが、こうも回数を重ねるとさすがに身体が持たない。俺は体力には自信がある方だったが、それでもこの男に付き合っていたらいずれ限界が来るだろうという予感があった。 「わかりました。ではあと一回だけ愛させて」 「ん、まぁ、あと一回だけなら……」  そう言って、俺はハッとする。   “めちゃくちゃな条件を出した後にゆるい条件を出してやれば、たいていは要求を飲むもんだ”    ――昼間、町で暁星塵に教えた交渉術。こいつは今まさに、それを実践しているのではないか?  まんまと策にハマってしまったことに気づき、悔しくて歯噛みするがもう遅い。  結局すぐにまた押し倒されてしまった。暁星塵の舌が首筋を這う感触にゾクゾクと肌が粟立つ。そのまま耳を甘噛みされて、俺はたまらず声を上げた。 「一回だけ、だからな……!」 「ええ、努力します」  あ、その言い方。あんた約束を守る気がないだろう!  そう反論しようにも、口を開けば喘ぎ声しか出てこないのだからどうしようもない。俺は諦めて目を瞑り、与えられる快感に身を任せた。  結局、俺は翌朝目を覚ますと、身体中が痛いわ、声は枯れているわで最悪な状態だった。 「今日も一緒に買い出しに付き合って欲しいのですが……」 「い、嫌だ! 買い物なんて一人で充分だろ! 今日からは交替で行くことにしようぜ。いいな?」  夔州のごろつきと呼ばれていた頃、俺が身に着けたとんでもない交渉術は他にも山ほどある。  だがこいつには、二度と教えるものか!  俺は腰をさすりながら、そう固く心に誓ったのだった。