「うわぁぁあぁぁあぁぁ!!」 「キャーー!」  義荘に悲鳴がこだまする。その出どころは俺とちび。そして悲鳴の原因は―― 「すみません、味付けを間違えてしまったようです……」  道長が申し訳なさそうな顔をして詫びる。  俺とちびは、目の前に置かれた椀の中身を口にして、あまりの辛さに絶叫したのだ。  道長の作る料理はどれも美味い。でも目が見えないせいか味付けを間違えて、ごく稀にすごく変な味のものを作ることがある。今回の粥もそうだったのかもしれない。  舌がビリビリ痺れて、水を飲んでもまだヒリヒリ痛い。辛いものが何より苦手な俺は、涙がポロポロ出てきた。見た目にはさほどおかしなところはなかったのに、舌を刺すような強烈な刺激だ。俺たちはしばらく悶絶していた。 「あたし、口が痛くてもう喋れない……っ! 水……水……ゲホッゲホッ」  ちびが咳き込みながら涙目になって言う。その顔は真っ赤で、唇まで腫れている。まるで大火傷をしたみたいな有様だ。それに顔や首からはダラダラと滝のように汗が流れ続けている。普段からぎゃあぎゃあうるさいちびが黙ってくれるのは、正直ありがたい。だが俺も似たようなものだった。口の中が熱を持って、舌を動かすだけでズキズキ痛むのだ。喋ろうとするたびに痛みが走り、全身から汗が吹き出ていた。 「ううっ、ひでえよ……あんたのせいで舌がおかしくなったかも……」  悶え苦しむ俺たちを前に、道長は眉尻を下げながら、ひたすら申し訳なさそうにしている。俺が恨み言を言うと、ますます身を縮こませた。 「本当に申し訳ない。これは私が責任を持っていただきます」  そう言って道長は、自分で作った激辛粥を食べようと椀を手にした。 「道長待て! 本当にヤバいから無理して食わない方がいいぞ!」 「そうだよ、道長がお腹を壊したら大変だし……!!」  俺の忠告に続いてちびも慌てて止めたが、道長は首を振って大丈夫だと言って聞かない。結局、道長は俺たちの制止を振り切って、自分が作った激辛粥を口に入れた。  けれど、それを口にした道長の様子は意外なものだった。 「うん、確かにこれは辛すぎる。やはり何か調味料を間違えてしまったのかもしれません。しっかりと味見をするべきでした」  うんうんと頷いて行儀よく咀嚼する道長を見て、俺は戦慄した。“辛すぎる”と言いながらも、道長の顔色は普段とまったく変わらないのだ。なんであんなに平然と食べられるんだろう。我が目を疑った。 「えっ、それだけ? 道長は平気なの?」 「嘘だろ……あんたの舌、どうなってんだ!?」  ちびは真っ白な目を大きく見開いて、道長の言葉に驚愕している。俺だって同じ気持ちだ。道長の舌がおかしいのか、それとも俺たちが変なのか――いや、間違いなく前者だろう。 「辛いですが……我慢できないほどではありません。もしかしてあなた方は甘い食べ物が好きだから、辛いものに少しばかり敏感なのでは」  道長が穏やかに笑いながら言う。いや、絶対に違うと思う。確かに俺は辛いものが苦手だ。だけど“少しばかり”で済む味じゃないぞ、これは! 「それは流石にないと思うが……。これを食べても汗ひとつかかないなんて、あんた本当にすごいな……」  あの激辛粥を食べた直後なのに、道長の顔はいつも通り陶器のように白いまま。汗だって全くかいていないのだ。普段から泰然自若としていて、冷や汗も脂汗も流すことなどない男だと知ってはいた。しかしまさか、これを口にしても平気でいられるとは、思いもしなかった。 「もしかして道長は、辛いものを食べても平気でいられる仙術が使えるの? あたしまだ汗が止まらないんだけど! その仙術教えてよ」  いまだに止まらない額の汗を手の甲で拭いながら、ちびが冗談めかすように言った。確かにそうでもなければ説明がつかないくらい、道長は涼しい顔をしているのだ。だが、道長は穏やかな笑みを浮かべ静かに首を横に振った。 「ふふふ、そんな仙術は聞いたことがありません。それに、私だって汗くらいかきますよ」 「ああ、そういや確かにあんた昨日の夜も――」  俺の上で、笑っちゃうくらい汗だくになってたもんな!  そう言いかけて、俺はハッと口を噤む。道長の白い頬にサッと朱が走ったのを見て、しまったと思った。 「ねえ、何なに! あんた何を言いかけたの?」 「い、いや、なんでもない」 「昨日って……狩りには行かなかったよね」  ちびは好奇心旺盛に食いついてくる。見えていないはずの目はキラキラと輝いていて、興味津々といった様子だ。この目敏いガキにこれ以上突っ込まれると面倒だと思い、適当に誤魔化してその場を凌ぎたかったが、こういう時に限ってうまい言い訳を思いつかない。 「だから、お前みたいなお子様には早いん……むぐっ!」  話を遮るように道長が、俺の口を手で塞いだ。  その手は、汗でじっとりと湿っている……。 「さて、あなたたちの食事を急いで作り直さなければいけませんね!」  道長は小さく咳払いをしてそう言うと、そそくさと立ち上がり台所へと行ってしまった。 「なによ、あたしだけ仲間外れにして……」  ちびは不満そうに唇を尖らせていた。  道長が閨で見せる姿を知るのは、俺だけでいい。俺だけが知ることを許された、俺だけしか知ってはならない、特別な秘密だ。  無意識に口元が緩んでしまうのを、慌てて引き締める。  ちびはそんな俺を、真っ白な目でじぃっと見つめていた。  こいつ本当に見えていないのか?  そんな疑いを抱きたくなるくらいにこいつは勘がいい。気をつけるに越したことはない……そう自分に言い聞かせて、俺は表情を必至に取り繕ったのだった。