嘘泣き

 オギャア、オギャア……。  人々が行き交う町中の一角に、あらん限りの声で泣き叫ぶ赤ん坊の声が響き渡った。  親を求めて泣いているのか、腹が減っているのか、はたまた排泄をしているのか。それとも単に機嫌が悪いだけなのか。  母親らしき若い女は、おぶった我が子を宥めようと懸命に声をかけながら人混みの中を進んでいた。 「これこれ、良い子だから泣かないでちょうだいな……」  困り果てた様子でそう呟く母親の声に、長身の男が足を止める。そして背負われた赤子を覗き込もうと腰を屈めた。 「そんなに泣いたら目が溶けてしまいますよ。さあこれをあげますから、どうか泣き止んでください」  暁星塵は赤子に向かって柔らかく微笑みかけると、道端の草でサッと編んで作った草玩具を差し出した。するとそれまで大泣きしていた赤子がけろりと泣き止む。まるで玩具に吸い寄せられるように小さな手が伸ばされた。だが母親は慌ててそれを制する。 「仙師様、どうぞお気遣いなく。これは嘘泣きなんですよ」 「嘘泣き? この赤子が……?」  遠ざかる玩具を見た途端、赤子は再び火がついたように泣き出した。この世の終わりのような大声で泣く様子は、とても演技とは思えない。 「母親は四六時中一緒にいるんですから、見ればそんなものはすぐにわかります。声の調子も顔付きも、なにもかも本当に泣いている時とは違いますもの。ほら、涙なんか一滴も出ちゃいないでしょう?」 「あっ、本当だ! 道長、このガキ全然涙が流れてないぜ」  暁星塵の隣でその様子を見ていた薛洋は、驚いて声を上げる。赤子の頬は涙で濡れているどころか、乾いたままだ。確かに泣いてはいないようだ。 「そんな……赤子も嘘をつくのですか。こんなに大声で泣いていたのに、嘘泣きだと?」  暁星塵はこの無垢な赤子が嘘をついているなど俄には信じられず、戸惑いを隠せなかった。ふっくらとした淡紅色の頬をそっと撫でて、そこが濡れていないか確かめる。   「ええ。この子はもうすぐ数えでふたつですが、生まれて半月ほどから嘘泣きはしてましたよ。あたしに構ってほしくて大げさに嘘泣きしてるんでしょう。赤子にも赤子なりの知恵があるんですね」  暁星塵は、母親の言葉を聞きながら感嘆の声を漏らした。 「驚きました。あのような赤子でも嘘泣きするとは……」 「ほんとだな。あんたが玩具を差し出した途端、急にニンマリ笑ったあのガキの顔。見せてやりたかったぜ」  薛洋は大笑いすると、真っ赤な糖葫芦に齧り付く。パリンと表面の飴が砕ける音に、暁星塵がくすくすと笑いだした。 「ん? なんだよ。気持ち悪い笑い方しやがって」  しゃくしゃくと咀嚼しながら、薛洋は隣で歩く暁星塵を見上げる。 「いえ、ここにも嘘泣きする大きな赤子・・・・・がいるのでつい……」 「はぁ? さっき俺が露店の前でゴネたのをまだ根に持ってるのか?」  薛洋はムッとした様子で唇を尖らせた。  先程の母子と出会う前、薛洋は露店の前で暁星塵に糖葫芦を買ってくれと地団駄を踏んで強請ったのだ。その時のことを揶揄しているのだと気づいたらしく、薛洋は舌打ちをする。 「だってあれは、道長が意地悪して糖葫芦を買ってくれないから、俺は悲しくて悲しくて涙が止まらなかったんだ!」 「ふふふっ、嘘おっしゃい。あなたが本当に泣いているかくらい、お見通しです」  暁星塵は、おかしそうに肩を震わせる。薛洋はムキになって言い返した。 「嘘なもんか。見えないくせに、道長にわかるわけがない」 「わかりますよ、声の調子や話し方で。だってあなた、しょっちゅう寝所で泣いているじゃないですか」  ――道長、はやくくれ。はやく……。  薛洋がなりふり構わずに縋り付いてくる時、いつもその声は甘く掠れていて、ぐすぐすと鼻を啜っている。無意識に涙を零すほどに切羽詰まっているのだ。彼が泣きながら自分を求めていることに、暁星塵が気づかないわけがなかった。  閨での嬌態を思い起こさせられたのか、薛洋は絶句した。みるみる頬が紅潮していく。 「泣いてねぇ! あ、あれは嘘泣きだ。泣いたフリ」 「おや、そうですか。それは失礼しました」  暁星塵はわざとらしく謝罪の言葉を口にすると、子供にしてやるように薛洋の頭へ手を伸ばした。そしてよしよしと撫でる。薛洋はますます顔を赤らめ、唇を戦慄かせた。 『嘘泣きだとは言いますけどね。涙が出ていようがいまいが、結局はあたしに構ってほしくてやってる事だって思えば、可愛いもんですよ』  あの若い母親が別れ際に口にした言葉を思い出し、暁星塵はふっと口元を緩めた。